検査室の窓から・11
新しい病院づくり
冨田 重良
1
1県立尼崎病院研究検査部
pp.74-75
発行日 1972年11月1日
Published Date 1972/11/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541204835
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塚口分院のなりたち
兵庫県立尼崎病院塚口分院は,尼崎病院の北方約5km,公害都市尼崎の中では比較的空気のきれいな北部の塚口地区に位置している.昭和28年,尼崎市北部や伊丹市など阪神間北部の医療機関として,また尼崎病院の結核患者の収容施設として,一般病床82,結核病床84,計166床で設立された.敷地が狭くて拡張の余地に乏しい尼崎病院を補う存在として,その後しだいに増設を重ね,尼崎市立伝染病棟(60床)や兵庫県立厚生専門学院も隣接して設けられ,昭和43年には病院近代化(鉄筋化)の第1期工事も終了して300床となった.
病院が大きくなるにつれて,行政的に本院より独立し,分院とはいうものの独立した1個の県立病院になり,生みの親である尼崎病院N院長が分院長を兼ねてはおられたものの,両院間の連絡も円滑を欠き,いろいろな悪条件下,分院の経営状態はしだいに悪化傾向をたどっていた.
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