霞ガ関だより
難病対策の窓口の新設—特定疾患対策室
T.T.
pp.114-115
発行日 1972年10月1日
Published Date 1972/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541204817
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難病問題の提起
昭和42,43年ころから全国的に多発したスモンは,とくに岡山県北西部の井原市,湯浅町に偏在して多数の患者をみて,大きな社会問題となった.幸いにして,昭和44年9月に発足した‘スモン調査研究協議会’の精力的な調査研究活動によって薬物中毒(キノホルム中毒)の可能性をほぼ確実なものにすることができた.この積極的な行政姿勢は,多少遅まきな施策の感はあったが多くの社会的共感を呼び,今まで病因や治療方法などが不明できびしい闘病生活を送っている人びとから国の幅広い行き届いた積極的な施策が希望され,改めて国内に数多くの難病・奇病が介在していることが表面化してきた.
これら病因などが不明な疾患に対しては,公衆衛生的施策の上では伝染性・感染性の疾患対策である社会防衛的施策が第一義的に行なわれていたため等閑視されていたところもあるが,社会福祉的施策としては育成医療,療育医療などにおいて,以前から行なわれており,福祉的政策不在とはいうことはできないが,これらはほとんど18歳未満の児童や心身障害者などに制限されている.
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