検査室の窓から・9
看護婦係物語
冨田 重良
1
1県立尼崎病院研究検査部
pp.74-75
発行日 1972年9月1日
Published Date 1972/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541204768
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プロローグ
大学病院から尼崎病院へ移っていちばんありがたかったことは,看護婦が私ら医師の介助をよくしてくれることであった.これは,460名の入院患者,1日1200名の外来患者の診療を,わずか30名かそこらの医師でしなければならぬ現実から生まれたやりくりであったのだろう.彼女らのおかげで診療の能率がどれくらい上がったことか.彼女らはまた,看護の技術が高度であるとはお世辞にも言えなかったにしろ,それなりに患者のため一生懸命努力していたようである.身寄りのない患者や貧しい患者のために,福祉的な世話まで何かと気を配っていたある主任看護婦の姿が,今でもなつかしく思い出される.
‘患者死後の剖検の許可はその病院の医療に対する家族の感謝の気持から’と言われているが,尼崎病院において非常に容易にその許可の得られたことは,彼女らの献身ぶり,またそれに対する家族の信頼,感謝を裏付ける何よりの証拠ではなかったろうか.あるときなど,主治医たる私が臨終の席に間に合わなかったにもかかわらず,婦長が代わりにその許可を得てくれていたのである.
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