管理者訪問・52
財団法人竹田綜合病院長 川上平太郎先生
車田 松三郎
1
1東北大学
pp.69
発行日 1972年7月1日
Published Date 1972/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541204712
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会津若松は,明治元年の戊辰戦争のときに会津藩の少年隊(白虎隊)が鶴ガ城の炎上をみて,飯盛山で自刃したという有名な話を連想させるところである.また今日では,人口10万を越し,産業も種々にわたり,とくに,良質な会津米を原料とする日本酒や伝統を誇る会津漆器,それに民謡にまで歌われ全国民に親しまれている会津磐梯山や,鶴ガ城などの観光事業でもよく知られているところである.
竹田綜合病院は,この市のほぼ西部に所在し,堂々とした近代的な高層建築(地上8階と7階の中央病棟,リハビリテーションホールや精神病棟5階)で,私的病院では全国的にもめずらしいベッド総数1,226床を有する大規模な病院である.
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