グラフ
医療はだれのためにあるのか—佐久総合病院
pp.13-17
発行日 1972年5月1日
Published Date 1972/5/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541204647
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佐久の農民のいのちと健康を守つて
敗戦の色濃くなった昭和20年3月,若月後一氏が外科医長として空襲の東京から赴任してきたときには,この佐久総合病院も,開設してまだ4年あまり,20床をもってはいたが,まだ1人も入院患者を入れたことがない,という病院であった.氏が赴任して3か月めに,乳がんの手術をしたという."おそらくあれが佐久地方における大きな手術の最初ではなかったでしょうか"と語っておられるが,南佐久郡23か町村,二十数万人の人にとって,初めて近代医学の恩恵が分かち与えられたのである.
"新しい日本の再建のために,山の中で農民のために働かないか"という恩師大槻先生のことばは感激して,喜びに似た緊張感を抱いて"豊民のためにしっかり働こう…"と決意した氏のそれからの活動には,まことに目を見張るものがある.よき理解者,よき協力者に恵まれたこともあろう.
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