人
医科大学をつくった親子 川崎祐宣 川崎明徳
水野 肇
pp.18
発行日 1971年2月1日
Published Date 1971/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541204229
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川崎祐宣氏の本質は,薩摩隼人と故三木行治知事より受けたヒューマニズムと,経営者の感覚の3つが,うまくミックスされているということだろう.一代で診療所を医科大学にまで育てた例は,おそらく空前絶後のことだと思う.しかも,それは,主として戦後の25年間で成し逐げられているので,事情を知らない人は‘運がよかった’というが,誠実さと,各方面の布石,それに川崎スピリットといわれる外柔内剛の人間性などを考えるとき,むしろ‘診療所から医科大学への道’は決してやさしいものではなかったと私は思う.
しかし,ほんとうの医学教育はこれからである.ユニークなもので,国民の要望する医師づくりは,けわしい道だと想像される.さいわい長男の明徳氏は,父親よりずっとスマートである.父親は55歳までメスをとったが,長男は三十路にしてメスを捨て,医科大学設立に協力した.その思い切りのよさと,センスは,おそらく父親以上だとの評価を,岡山では受けている.
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