病院の広場
計画性
倉田 正一
1,2
1第4回日本病院管理学会
2慶応義塾大学・病院管理学
pp.15-16
発行日 1966年1月1日
Published Date 1966/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541202753
- 有料閲覧
- 文献概要
- サイト内被引用
1年の計は元旦にありという。計画はいつも重要な意味をもつ。さきごろ,一般企業体に種々な経営管理技術が導入されブームをさえ形成したことは人の知るところである。その技術そのものの批判は別としても,一体その理由はなんであろうか。これはそれらの技法がもつ合理性,科学性の故であって,従来の管理にこの面が欠けていたことを端的に示しているとみることができよう。プラニングを含めた管理機能を考えた場合,管理者が求めてやまないものは客観的な判断資料,正確な情報だからである。
ベルナールの昔から自然科学における仕事には一定の手順があった。客観的な観察,推論,実験,法則性の開発。このいずれの段階にも環境や組織化された経験が大きな意味をもち,帰納と演繹が向上の循環をしだいに高めてゆく。特に推論の段階では科学者の独創的な考えが勝負を決してゆく。しかしまず求められるものは客観的な冷静な観察である。経験はたしかに大切であるが,偶然的な未整理な経験は偏見を強める以外の何ものでもないし,雑然たる常識もそれだけのことである。組織化された経験,組織化された常識こそが大切であろう。病院においても実務に追い回されているだけではなく,時には瞑想にふける哲学者の態度が管理者に必要ではないだろうか。空理空論ではなく理論議論はつくさねばなるまい。
Copyright © 1966, Igaku-Shoin Ltd. All rights reserved.