特集 病歴の中央化
病歴中央化実現への問題点と打開策
中央化制度のできるまでの経験と意見
公立刈田総合病院の場合
今田 拓
1
1公立刈田総合病院業務部
pp.25-27
発行日 1965年2月1日
Published Date 1965/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541202513
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I.創世紀前
昭和30年私は宮城県白石市にある公立刈田病院の初代整形外科科長として赴任した。この病院は創立来70年の歴史をもってはいるものの当時は古い組織と建物で運営されていたようである。昭和26年末に赴任して病院の近代化に手をつけて日々努力を重ねていた菅原院長によってまず建築改造がはじめられ,私が赴任してきた当時はそれが半分できあがった頃であったと思う。病院の外側は逐次整備されつつあったが,中身はほとんど手がつけられていなかった。病歴などは年度もなければ外来・入院の別もなく,名簿もないという状態であった。
新築の病院は予想以上に患者の急増をきたし,各部に機能の改善を考慮されなくてはならない状態であった。病歴も従来の整理では紛失すれば2度とお目にかかれない日が続いた。
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