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Dr. Shimanouchi's Recordtape
島内 武文
pp.47-49
発行日 1954年10月1日
Published Date 1954/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200880
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(2)我国の病院も昔は患者の宿舎から発生した
前回に欧米の病院はHOSPITALであつて,文字通り患者の收容所に源を発しているのに対し,我国の現在の病院はむしろ患家からでなく医家(診療所)が規模を増大したものとみなされることをのべたのであるが,山崎佐博士の「日本医事法制の研究」を拝見した所,大分昔の事が記載されているので,それをここに引用させていただくことにした。
伝説では聖徳太子の創建されたものとして1)悲田院—無依の貧窮者を收容した。2)療病院—病者を收容し救護した。3)施薬院—薬剤を施与した。4)敬田院—社会教化の道場とした。等となつているが,実際病者を收容して救療したのは専ら悲田院であつて,施薬院は悲田院に附属して薬剤を施与することによつて,療病に関与することになつていた。(同書614頁)
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