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血液銀行の現状
加藤 勝治
1
1東京醫科大學附屬病院
pp.9-12
発行日 1952年2月1日
Published Date 1952/2/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200437
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我國における輸血の歴史を繙いて見ると,大體第1次世界大戰の頃,歐州の見學から歸國された後藤七郞教授,および鹽田廣重學長が,當時の輸血方式によつて行われた數例の報告に始まり,それに續いて輸血に關する著書が發刊された程度であつた。日本外科學會では輸血の重要性に鑑み,學會の宿題として取上げられたのではあるが,矢張り舊い方法が利用せられ,保存血液については殆んど顧みられなかつた。第2次世界大戰に際しては,供血運動が起り,同時に陸海軍では盛んに輸血問題の特別研究班まで組織して輸血および代用輸血の専門的研究が進められたのである。
外國においても,輸血の歴史は既に17世紀の半頃にはその端を發してはいるが,現今のような保存血液の利用については,第1次世界大戰の頃までは實施されていなかつたのである。その後若干の研究家は輸血學の發達に大きな貢献を遂げたことは事實であるが,現今のような保存血液の完全な利用は1937年アメリカのシカゴ市にある,Cook County HospitalにFantusが設置した血液銀行Blood Bankの制度によつて完成せられたのである。この新制度の確立は輸血學の發達上劃期的の事件であつて,直ちに各病院にこの制度が實施されるようになり,現今では少くともアメリカ國内には1500以上の私的血液銀行の設置を見るに至つた。
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