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アメリカでの見聞(4)
尾村 偉久
1
1厚生省國立療養所
pp.11-17
発行日 1951年12月1日
Published Date 1951/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200409
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職員數でありますが,いま申しましたようにヴイクター・カーレンは私の行つたときに345人患者が入つておりましたが,醫者はいま言つたようにライオンさん以下4人,看護婦は日本のいわゆる甲種に當る者が6人,乙種のPractical Nu-rseが34人,冤状も何もない6週間ほど毎日1時間づつ教育を受けたいわゆる病棟附添婦が36人これだけでやつております。それからもう一ついま言いましたマウントウイルソンは患者が75人おつて,院長とドイツ系の醫者と2人,もう一つ餘計な人がおりますが,これは州の結核課に屬している技師でありまして,この技師はこの4つの病院の醫術の方の顧問みたいなものです。ふだんはマウント・ウイルソンに勤めておりますが,しかし實際に直接治療の對象になる醫者でなくて,4つの病院をはじめその他の州の結核關係の醫術の方の監督をやつている人で,これは半ぱものです。それからとの175人の患者に對してRegister-ed Nurseは婦長を入れてたつた3人,Practical Nurseが13人,Attendanceが16人,こういうような構成の内容であります。メリーランドはアメリカでも貧乏州で,もつともボルチモアという大都會を持つておりますが,あまりよくない所で,ちようど日本人に見せるのに適當だろうということで見せてくれたのだろうと思います。
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