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シカゴに飛ぶ—滞米通信1
守屋 博
1,2
1東一管理部
2厚生省病院管理研修所
pp.32-33
発行日 1950年10月1日
Published Date 1950/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541200217
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シカゴ市ローソンY.M.C.A.にて
多数の人がアメリカの学問をやる為に,渡米出来る様になつて,病院管理についても誰かと云うのが我々の共通の希望でありました。日本学術会議で数十名の者が選ばれた時,最初のリストに私が乗つているときかされた時は希望の喜びよりは,責任の重大さの心配の方が感ぜられたのでありました。
いよいよ本ぎまりになつて,すつかり手続がすんだのが6月の終り,総司令部ジヨンソン大佐の忠告で夏休みをさけて新学期をまつたり等していたので,その間6ヵ月以上の待期期間があつた。しかしその間もいつどこへ行つてどこで勉強するのがさつぱりわからなかつた。8月22日総司令部に呼ばれて「9月5日以前にシカゴに到着する事,2ヵ月シカゴの大学で勉強する事,あとの1月はどこを廻つてもよい」という命令を受けた時は,一寸ビツクリしたが来るものが来たのでかえつて落着いてしまつた。それからの1週間は目の廻るほど忙しかつたが,ようやく8月29日のNorth west air lineに席を見つけて出発する事になつた。
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