特集 死生観が問われる時代の医療
さまざまな生と死からの学び―看護の立場から
川島 みどり
1
1日本赤十字看護大学 看護学部
キーワード:
尊厳ある生
,
生きている意味
,
老いと死
Keyword:
尊厳ある生
,
生きている意味
,
老いと死
pp.525-528
発行日 2010年7月1日
Published Date 2010/7/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1541101730
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旭山動物園の高みにあるレストランで,晩秋の夕日の落ちる瞬間に歓声を挙げた人々の中の,とりわけ屈託のない笑顔が今も目に浮かぶ.その人は,肝臓がんと膵臓がんで数次にわたる手術を受け,肺転移の身で学術集会長の任を全うした.“人々の生命・生活・希望を支える看護のわざ”と題した会長講演では,「周到な準備のもとでの『献身』こそ,もっとも優れたアートの中のアートである」と淡々と語った.看護技術学会での講演に相応しい内容に加えて,近くに迫った自身の生命の終わりを予知しながら,今日の集会までに献身した過程と,度重なる入退院で体験した医療や看護への思いとが聴く者にひしひしと伝わってきた.3か月後,彼は逝った.50歳代前半の肝不全による死であった.
その人の名は,岩元純(当時,旭川医科大学教授),看護系学会の中での看護師以外の数少ない会員の1人であった.専門の生理学的見地からの鋭い質問やコメントとともに,彼の遺した“献身”の意味を胸の奥に刻んだ参加者らも少なくなかったと思う.肉体的な死は避けられなかったが,彼を偲び語る人々の中に彼の言葉は生き続けることだろう.
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