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はじめに
視力障害の程度は各自の年齢で『全盲の中途失明』とされ,体験は一日ないし半日の期間で続けられた.この体験が一日だけで終ることなく,幾月間も続けられていたらもっと充実した結果が得られていたであろう.
家族の意見を得たところ,端から見れば鬼さんこちらよろしく,目かくしで必死に動く私達をほほえましくまたこっけいで,そして痛ましかったとのことである.この体験では日常生活動作よりも心理状態が大きくとりあげられ,討議された.障害者の心理を,我々“一日体験者”が全て理解できるものではない.しかし,理解することに一歩でも近づけたように思える.目的とするところは,障害者の立場で考え,置かれている立場を理解しようということである.人の痛みを知るにはその痛みを自分の痛みとしなければならないと思う.視力障害において心理的なことは大変重要な意味をもつ.自分を外敵から守る本質的な武器をうばわれたと考えられはしないか.本能から起る苦痛の叫びであろう.
体験者10名でその時の思いを率直に語った所「恐かった」「体中を目にして疲れた」「疲れた.それだけです」などと,感想が出された.また,歩くのがつらいし恐い,それならばと目かくしをしたまま一日を飲まず食わずで過した勇者(?)もいた.
ここでは「視力障害は何か」などと医学的面からの考察は省いてある.まさにがむしゃらの体験で良否もあろう.視力障害者の訓練がどのように行なわれているかは知らず,この我々の“体験”では自助具といえるものも使わない.その中で窮すれば通ずをモットーに各自の創意工夫がどのように行なわれたかも非常に興味あることであった.困難な動作に対しては討議や検討も行なったが,出た答は既に実際の訓練の中で理論づけが行なわれている事柄かも知れないが,知らぬが故の悲しさでけんけんごうごうの討議がくり返さえされ答を出したものの,スーパーバイザーの荻島先生よりその点はこのように行なわれていると教えられて,意気消沈,苦笑の場面も度々であった.ここに掲げる私達の解決策もずっと昔から使われているかも知れないが,その経過を大事にと思い,あえて述べておこう.
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