とびら
リハビリテーションの志向性
紀伊 克昌
1
1聖母整肢園
pp.233-234
発行日 1973年4月15日
Published Date 1973/4/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1518100600
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リハビリテーションは弱者のために存在しているのか
‘私はきかいにとりかこまれているような気がします.私がおとなになった時は,小鳥がいるかなと思ってちょっとこわくなります.このままでいくと小鳥もおもちゃでないと,声が聞かれなくなるかもしれません.小鳥は思っていることを鳴いてあらわします.でもおもちゃの小鳥だと声はきれいだけれど,心がないからこわれたらもうとべなくなるか声が聞けなくなってしまいます.本当の小鳥だったら声が聞けなくなってもとべます.やっぱり人間もおなじだから,もし小鳥がいなくなったら人間も全ぶ死んでしまうでしょう.やっぱり大自然はいいなあ’
これは私の職場である肢体不自由児施設に入園している子どもの作文です.澄んだ瞳と純粋な心のままに書かれたこの作文に私はひどく感動しました.
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