鏡下咡語
久保猪之吉先生と二本松少年隊
大藤 敏三
1
1日本医科大学
pp.67-69
発行日 1978年1月20日
Published Date 1978/1/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1492208609
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東京在住のためもあつて春秋2回には必ず夫婦揃つて先生の墓地に行くことが,昭和14年以来習慣となつた。先生は私にとつて恩師であるからである。色々の理由で私が耳鼻咽喉科を選び出して先生の教室に入局して以来,先生が,昭和14年11月12日に東京麻布で病没されるまで大切な恩師として学術方面で仕えたつもりであつた。人間の寿命としては65歳は現在では洵に短命であつた。がしかしその仕事の容量は恵まれた時代でもあつたにせよ膨大なものでその業績は文字に組まれて一先ず後世に遺されたし戦後絶版になつてしまつたが,当時独乙で出版されていた9冊もののDENKER-KAHLER全書には到る所にIno.Kuboの文献で表示されてその生涯の足跡を遺した。
それにつけても先生の学問への愛着と執念とが死床に横たわつてもなお延々と続いていたことに対して文句なしに頭が下る思いである。一瞬一刻の空費を避けて専門医学への精進を棄てられず,その上にその余暇を人事往来と文学の趣味に費やしたのでこれは生活の基準のようなものであつたが短歌の傾斜は僅かに浅香社時代(落合直文),明星(与謝野鉄幹・晶子),雷会,心の花(佐々木信綱)などに遺作が遺されていつたが短歌発展の歴史には貴重な評価をのこしていつた。
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