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昔から人間は,集計,分類,加減乗除などの計算に多くの時間と労力を費やしてきた。「考える葦」で有名なパスカルが,歯車式の加算機を作ろうとした動機も,彼の父親が税務署の役人として自宅こまで仕事を持ちかえつて苦労の多い手計算をしているのを見たからであるという。また,1694年ライプニッツは,加減算のくりかえしで乗除算も行なえる計算機を完成したが,この時に彼の語つた言葉「安心して機械にまかせられるような計算は,機械に任せるべきだ。どれいのようにコツコツと時間をかけて計算することは,人間としてやるべきことではない。」は,今日でも電子計算機(以下,電算機)のテキストによく引用されている。
その後,計算機は単なる加減乗除のためでなく,伝票と台帳の照合,分類,仕分けなどの科学的管理法として応用されるようになり,ホレリスが実用化に成功したパンチカードシステムは,1890年アメリカの国勢調査に初めて使用し,集計期間を3分の1に短縮したという。その後,電子技術の進歩,販売競走の激化や戦争などが,「より速く正確な計算」という要求をかりたて,1946年,エカートらは,18,800個の真空管を使つた計算機を作り,演算素子に初めて電子部品を使用した意味でENIACと名付けられた。これが世界最初の電算機といわれている。ちなみに,このマシンは消費電力130キロワット,重量30トンという巨大な装置であつたという。ついで1952年,フォン・ノイマンが命令を数値でおきかえて符号化したプログラム内蔵方式の計算機を完成し,UNIVACの名称で発売したが,これは1955年,野村証券が輸入設置している。一方,日本も自力で電算機を作ろうとする試みがあり,F社の岡崎はほとんど独力で約7年の歳月をかけて1956年,日本最初の電算機FUJICを完成させ,また1959年T大学とT社が協力して7000個の真空管と3000個のダイオードを使つたTACを完成したが,その時すでに欧米では素子が真空管からトランジスタの時代に移つていて,商品化されなかつたのは残念だが,そのファイトは賞讃されるべきであろう。
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