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私が耳鼻咽喉科学を専攻しだしてから,すでに30余年がたつてしまい,今さらながら月日の経つのが早いのには驚かされるが,今考えるとその当時と現在とでは大変な開きがおきていて,これもまた一つの驚きである。月の世界に人間が飛んでゆく時代であるからあたり前であるといわれればそれまでであるが,耳鼻咽喉科学領域についてもこれと同じ位の進歩のあとがあつた様に感じられる。最初耳鼻咽喉科学を習い初めた当時は,ちようど急性中耳炎から続発する急性乳突炎に対して,乳様蜂巣鑿開手術を行なうことが大全盛の時代で,したがつてかけ出しの私などは乳様蜂巣の鑿開の仕方や,適応の決定などに大変な関心を払つたものである。しかし今日では急性乳様突起炎にお目に掛るということは大変珍しく,それどころではなく,急性中耳炎のかなりの部分は内科や小児科の先生が抗生薬を使つて治してしまうのではなかろうかと思われるほどである。
したがつて耳鼻咽喉科学臨床の全体が大きな変革を要求されていることはやむを得ないことであろう。しかしよく考えると,手術をしなければ治らないといわれていた病気が,手術をしなくても治るというその事は大変結構なことである。そしてこの事がいろいろな疾患に及んでいる訳であるが,中耳炎を中心として考えると慢性中耳炎についても同じようなことがおきている。話が前に戻るが,同じく私の研修当初頃の慢性中耳炎の処置は主として真珠腫形成のようないわゆる悪性中耳炎に対して,中耳根治手術を行なうことが主要で,いわゆる良性中耳炎に対しては寧ろ保存的治療の方が無難であるとされていた。しかし近年の薬物の進歩によると,この良性中耳炎における中耳腔内の炎症は薬物で治癒せしめられる可能性が非常に高くなつてしまつた。そこでここに鼓室形成手術が勃興した訳であるが,その技術の進歩の跡は昔日とまつたく趣を異にしてしまつた。手術用顕微鏡や微小エンジンバーを使つて,最近では一部からは死体の鼓膜や耳小骨連鎖を移植するところまで報告されているが,この勢でゆくならば,あるいは将来は内耳の中の故障部分に手入れする所まで進歩するかも知れない。
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