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ジャーナリズム慣れしているはずの私だが今度ばかりは相当参つた。身体も痩せたし,尿糖も急増した。地元はもとより東京からも,新聞記者,雑誌記者,ラジオ・テレビ記者や写真師が電話をかけてくる,会見を求める。夜中も日曜もあつたものでない。男性あり女性ありその数も延べ数百人におよんだようだ。娘の容貌がみにくいが,今度は貴院でお産をしたい。奇麗な顔立ちの子供と取りかえてくれるかと投書してきたり,わざわざ未知の米国人が英語の詩を送つてきたり,一々応接していてはきりがない。この米国からの来信は幸いに私の立場に同情と賞賛をしめす程のものであつたので,子供らは額に入れて家宝にしようなどという。こうなると自主的態度の堅持がむずかしく,他人に逢うのが気が進まない。故意にこの問題をさけて話かける人,飛んだ災難だつたねとニヤニヤ笑いかける人。結局誰に逢つてもまず,当方から取り替り事件で口火を切り,それから必要な話を始めるのが一番手つとり早いと余程たつてから考えついた。
抑,この事件は私の着任前半年に起こつたが,管理者(院長)として知らなかつた事と済ませる問題でない。まして一般の人々は今起こつた事件のような感覚で受けとつている。マスコミの人々また然りであり,ことに日赤という権威の座に関係することだけに情緒的ないし感傷的な非難もうけやすい。たとえば私が単なる過失の他に医療制度の欠陥も考慮する要があり,この種事故の根絶には政治的措置を講ずる必要があると指摘しても,その当時は単純な責任免れの言ととるか,少なくとも顧みて他を言うものと受取られがちであつた。それがすなおに受けとられだしたのは,同じような事例が続々と他の大病院(国立または大学病院)に発生し,議会でも問題となりはじめてからである。最後にはマスコミ連も取材態度を反省し,事件の取扱いは科学的でなければならぬ等という人も出てきたが,少なくとも当初は院長も被告扱いを受けたようだ。直接の原因は両児が同室で隣り合つて寝ており,入浴の後に誤つたベッドに看護婦が入れたとしか思われない。ただし余所の事例では悪意の人間が故意に乳児を入れ替えたと思われるフシがあり油断がならない。それにしてもわれわれの例では一方が生後6日目,他方が3日目で,さらに一方にはホクロがあつたはずなのだから,看護婦なり母親なり誰かが気づいてさえおればすぐにも誤りが是正されたであろうと残念に思われる。とにかく,乳児が病院内で取り替つたことを容認すると,どうなるか。それは医師法にも保助看法にももとるとは断定できないそうで,看護婦の場合は高々職務上必要な注意義務の怠漫が,医員の場合は,道義的責任が,院長の場合は無過失責任が,両方の両親の場合は過失の相殺が考えられるということであるから,法律というものも常識ではなかなかわからないものである。
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