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I.緒言
聴力改善のための手術方法は既に約100年の昔Berthold (1878)が,厚い皮弁で穿孔か閉塞する事に成功した事に始まり,次いでTangemann(1886)も皮膚移植により穿孔を閉鎖する事を試みた。しかし,滅菌,消毒等の不充分な当時なので失敗する事が多く,追試する者もなく中絶するに至つた。又一方,中耳根治手術の不快な術後症である難聴を除くための試みも,1906年Schön—emannが耳内切開法で耳小骨を残した中耳根治手術を考案実施しKonservetive Radicaloper—ationと命名した事に始り,耳後切開法ではBa—rauy Preysing等が種々考案を実施し,その他幾多の変法が企画実施されたが,要するにBrückeを除去し,耳小骨を残す法,之に外耳道plastikを行わない法,行う法,一部Brückeを残しPl—astikを行う法等の色々の組合せの方法が考案されたのである。しかし,之等の何れも,大体50〜55%の聴力改善率で,その良好な例でも,術後直ぐは良いが,2か月,3か月と日を経るに従つて聴力減退を起し,耳鳴も発生し,経過は余り香しくなかつた。丁度このころ第二次大戦が起り中絶されるに至た。戦後ペニシリン等抗生物質の発達が進み,凡らゆる手術が化膿せずに出来る様になり又一方植皮の技術も進歩し容易に植皮出来る様になつた。又Lempertは手術用顕微鏡を用いて,内耳開窓術が簡単に行える様に考案し,好評を博するに至り,更に又,昔のBezold,Edelmann等によりなされた聴覚理論は,再びBekesy,Wever (1950)等により再検討され,旧来の理論に新事実が附加されて,聴力改善手術の研究が,暁の光の如くほのぼのと西独で企画されたのである。即ち1950年MoritzがHeidelbergの治療学会で,植皮弁でRundes Fensterを閉塞し,Ovales Fersterを開くと聴力が改善されたと云う報告に,その端を発したのである。翌年にはHerrmannも同様の報告をし,更に翌年(1952)にはWullstein Zöllnerの有名な聴力改善手術方法の発表がなされ,此の年日本でも,名古屋の後藤教授が同様の実験(猫)と臨床報告を行つた事に現在の鼓室形成の発展の源があるので非常に意義深いものがある。更に1954年Amsterdamの国際耳鼻科学会でWullsteinはTympanop—stikと命名した現在の手術方式と理論を発表したのである。以後世界各国は殆んど此のWulls—teinの分類方式をとり名称もTympanoplastik或はTympanoplastyとしている。私の今回の発表に用いた術式も4年前Wullstein教室で見学したままの此の術式によつたもので,従つて手術用顕微鏡を用いなかつたり,3型をBr残したり,ゲラチンシュワンムを入れなかつたりしたものはWullsteinの鼓室形成手術とは云えない。その方法の詳細は既に耳鼻咽喉科展望2巻,3巻に連続執筆した次第である。
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