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昨年,兵庫県立神戸医科大学の耳鼻咽喉科学教授であった中村良太郎教授が逝去された後,後任教授に京都大学医学部耳鼻咽喉科学教室の浅井良三助教授が選ばれ,本年2月就任された。
浅井良三先生は明治39年3月の生れで53歳,大阪市の南,堺市の生れで,大阪府立今宮中学校より,大阪高等学校を経て,京都大学医学部を昭和5年卒業,耳鼻咽喉科学教室に入局,星野貞次教授の許で研鑽を積み昭和8年講師に,昭和18年に助教授に就任,以後長年助教授で屡々諸所の大学教授の噂はあつたが,実現出来ず一部では万年助教授のままになつてしまうのではないかとの心配の陰口も聞かぬでもなかつたが,今般の神戸医大就任で浅井教授を知る者にとつては,それが杞憂であつた事であり,又安心もした事であろうと思う。勿論今度の事に就いて京都大学の後藤教授を始め,同門の諸先生の陰に陽にの援助が氏の結果に力があつたとは言え,矢張り浅井教授の人格の賜であると思う。あの柔和な小柄の身体で,出しや張らず黙々と,そして気が強く頑張り屋である。教授の仕事は臨床方面の仕事が主で,昨年名古屋で催された第59回日本耳鼻咽喉科学会の宿題報告でも「上顎及びその附近の悪性腫瘍について」即ち上顎癌を主としたものである。此の宿題報告を見ても判る様に,悪性腫瘍の臨床と取つ組むという事は第一に長期の遠隔成績が必要である事,実験室的なものが出来ない事,成績が常に派手でない事etc。兎に角悪性腫瘍の臨床的な仕事は地味で根気よく,こつこつと積み上げた結果でないと成績が出ないものである。しかも結論が出し難い。浅井教授の様な黙々とした仕方をするという人にして始めて出来るのである。筆者も名古屋の学会で宿題報告が終つて廊下へ出た時,丁度浅井先生が星野先生に挨拶されるのを横で聞いた。恩師と共に目に涙を浮べて握手しながら黙つて握手した手から手へと自然に意味が感激と共に伝わつてゆくと言つた風景を目のあたりにして,こちらもほろつとさせられた美しい風景であつた。星野先生も筆者が察するに,浅井先生が神戸大学へ行かれたのは非常に嬉しくもあり又その反面多少の寂しさもあつたろうと思う。丁度自分の末娘を嫁にやる時の気持が,ぴつたりではなかつたであろうか。
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