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嚢腫腎の1例
杉原 英一
1
1昭和病院外科
pp.625-627
発行日 1953年10月1日
Published Date 1953/10/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491201062
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緒言
嚢腫腎は1885年Virchowの報告以來,比較的稀な疾患とは云え報告例も可成り多く,本邦例も明治44年副島の報告を始め,昭和14年服部(名大斎藤外科)水谷は既に本邦例100例を蒐集本邦文献の總括的統計的觀察を試みて居り,最近も谷林の報告を見る。一般に本症は兩側腎共に腎實質の侵蝕高度で嚢腫變性を招くため,萎縮腎に準じた内科的對症療法に終始する他なく外科的療法も決定的とは云えず常に臨床醫家の困惑する所である。自驗例も亦2年餘種々の症状に反復對症療法を施すに終始した例であるが,次の2鮎特に興味を覺えたので茲に報告する次第である。即ち本症はVirchowの指摘した如く多くの例に比較的濃厚なる遺傳關係を認める事は衆知の所であるが,自驗例は兩親一族近親共本症は勿論,特殊腎疾患無きにも拘らず突然同胞7名中4名に本症を確認し更に2名本症との關聯性を認めた點及び15年間種々症状に稠いされつゝ労務に服して來た本症患者が突然急性痙攣性尿毒症症状を發現僅か2日間に死亡した點にある。
本患者の末期診療に當られ,詳細に症状経過を御教示下さつた先輩三品英治郎氏に衷心感謝の意を表する。
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