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嚢尾蟲症の1例
新妻 俊男
1
,
稻木 俊三
1
1名古屋大學醫學部皮膚科教室
pp.380-384
発行日 1949年9月1日
Published Date 1949/9/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491200241
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緒言
動物を正規の中間宿主とする絛蟲が時に人體を中間宿主としてその變態である所の嚢蟲を造る事はRumler(1558)により癲癇患者の剖檢に際して始めて發見せられたものであつて(或はWharton1659)を以て初見者とする者もある)人體に於けるのと豚に於けるのとが同一物である事を唱えたのはWernerでありHartmann及びMarpyghi(1688-1758)に至り當時の所謂腺腫が内臓寄生蟲に原因するものである事を知り有鉤絛蟲の嚢蟲として之が確實に實證せられたのはKüchen Meisterの實驗によるものである.降つてKruckenberg(1843)が臨床上皮下嚢蟲の的確なる診斷をして以來此の例證が相次いで出で來つた.即ちGriesinger(1862),Lewin(1877)等である.
本症の多寡は土地と時代とによつて差異があり一般に豚の肉食と密接なる關係があり歐洲にては佛,伊,英及び南獨等温暖な地方に稀であつて北歐寒冷の地方に比較的多い様である.之は生肉を食する風習が北方に多い爲とせられている.獨乙に於ける例はBollinger(1888)はMünchenにて屍體14000の中嚢蟲の證明せられたのは僅か2例であるのにDresel(1877)はBerlinにて屍體5300について87例即ち1.6%の嚢蟲を證明している.
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