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故太田正雄教授追悼の辭
佐藤 邦雄
1
1日本皮膚科學會
pp.34-38
発行日 1948年1月1日
Published Date 1948/1/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491200070
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支那事變から太平洋戰爭と9年間に亙る大戰爭もみじめな敗戰に終り擧國殆んど爲す所を知らぬ混亂の當時吾等皮膚科學會關係の者は又思ひがけざる悲報に襲はれて茫然自失したのであります。即ち去る10月15日の本會理事長太田教授の訃音がそれであります。此の國家有用の材たる大學者の餘りに早き逝去を惜まぬ者はありませんが私共同學同門數10年來職を共にし交際を續けて來だ者にとりましては殊更痛恨哀傷の至りで追慕の情に堪えないのであります。それに從來太田教授は虫垂炎の手術をされた外は寧ろ頑健と申してもよい位で,あまり病氣に罹られたこともなく,今回の逝去も多くの方々には殆んど突然と思はれた位に病臥の期間も短かかつたのて一層吾々を驚かし吾々を悲痛の極に陷れたのであります。
太田教授は明治18年8月1日靜岡縣伊東に生れ幼時より慧敏頴悟の資を備へ種々の方面に天才的の閃きを示されました。君が彼の山海の風景絶佳なる地で而も温泉と温私な氣候に恵まれた環境に人となられましたことは,後年示された繪畫や文人としての君の天分が頗る此間に哺まれたととを思はしめるのであります。長じて獨逸協會中學校より一高を經て東京帝大醫科に學び明治44年12月卒業し,直に翌年1月より衞生學教室に於て細菌學を修め同年7月皮膚科教室に轉じ,茲に君の皮膚科專門學者としての生涯が始まつたのであります。
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