銀海余滴
故佐藤勉教授追悼号を手にして(1)/故佐藤勉教授追悼号を手にして(2)
山賀 勇
pp.192,236
発行日 1961年2月15日
Published Date 1961/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410207171
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かねて予告された佐藤先生追悼号が,後継の中島教授等によつて立派に出来上り,届けられた。誠に世界的に名を上げた佐藤教授をしのぶに充分な金字塔である。この号の出ることを知つて,私も一文を草したが,行違いから,締切をすぎたというので,一旦は返されたが,ここに改めて投稿して,私なりに先生をしのびたい。
佐藤先生が亡くなられた!その日昭和35年6月9日,朝のラジオ放送を聞いた時,私は一時自分の耳を疑い,私には目の前の明りがパツト消えたような気がした。誠に先生は私共にとつては暗夜の燈台であつた。日本の眼科はまたしても大きな先達を失つた。特に戦後における先生の次々に発表される手術に関する論文は独創的で,心をこめてくり返し読ませていただいた。私は無遠慮にも順天堂に伺い,度々あの暗室で,また手術室で,直接色々と先生の御指導をいただいた。毎週水曜の手術日には,朝から立ちずめで,次から次へ運ばれる患者の手術に一つ一つ精魂を傾けて立ち向い,その間にも常に工夫をこらし,想を練り,自ら刀を削り,かくして佐藤氏角膜刀も完成されたものと思う。
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