追悼
故 大村順一教授追悼の記
石神 襄次
1
1神戸大学
pp.1015
発行日 1968年12月20日
Published Date 1968/12/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200556
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編集室より故大村順一教授の追悼文の執筆を依頼され,一応承諾したもののどうしても筆をとる気になれなさい。今にして安請け合いしたことを後悔している。大村ん(生前の親しさからこう呼ばせていただこう)は,御永眠後既に4カ月を経た今も,私には追悼される人としての立場にないもつと身近かな感じしか抱きえないのである。今もお互に毒舌をふるいあつている兄貴分の1人としてのimageしか浮かんでこないのである。大村さんの晩年,色々の面で親しくおつき合いさせていたただいた私にとつて,彼を追憶なる第3者の場に立たせることはどうしても忍びえない。彼と一緒に昔話を語りあうような形となることをお許し願いたい。
大村さんに始めてお目にかかつたのは昭和22年秋であつた。当時,広島医専(現広島大学医学部)が学制改革によつて,大学昇格か廃校かの岐路にたたされ,関係者によつて血みどろの努力がなされていた頃である。附属病院は病院とは名ばかりの堀つたて小屋であり,駐留軍が視察にきて,"not college but only cottage"なる名言(?)を残して帰つたという代物であつた。まず人間集めをということで,当時京大を停年退職された恩師柳原教授が院長たるべく着任され,その下に大村さんや私達が赴任したのであるが,研究室はおろか,外来患者も1日10人内外というひどい状態であつた。
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