特集 故佐藤勉教授追悼号
追悼の辞
故佐藤勉教授追悼号発刊について
中島 章
pp.1994
発行日 1960年11月15日
Published Date 1960/11/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410207122
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今年の初め頃から小暮行雄先生はじめ医局の有志が集つて故佐藤教授の記念行事をやろうじやないか,と相談をして居た。何度か集つて案がまとまり,趣意書を印刷に廻す手配が出来たのが6月初めであつた。計画によると教授在職15年記念と云う事で1961年6月8日の御誕生日迄にすべてを完了してお祝いをする積りであつたが,今年の6月9日に佐藤先生が急に亡くなられた。従つて印刷屋にその日にわたす事になつていた趣意書の印刷その他計画していた事は一応全部御破算になつた。とてもそれ所ではなかつた。
思い出して見ると,私が佐藤教授にお目に掛つたのは1953年11月で,その頃初まつたばかりのコンタクトレンズの仕事を見に名古屋へ行つた帰りに,順天堂のそれも見て帰る目的であつた。その時は,翌年順天堂に働く様になるとは予想もしていなかつた。翌年佐藤教授の外遊の留守番と云う形で順天堂に奉職する様になり,それから6年余り,間で2年近く留守をしたから,実質4年余りになるであろうか。佐藤教授が外遊をされて,諸外国の状態に接して来られた事は,整備期にあつた順天堂大学全体の整備発展とタイミングが合い,その上に1957年から起つたコンタクトレンズのブームがこれに加わつて,私が勤務に戻つた1958年以降と,その前とで,順天堂大眼科の内容に質的な差が見られる様に思われる位に変化した。此の論文集に納めた業績は2,3を除きすべてが1958年以降に当教室でなされたものである。
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