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吾教室の昭和19及び20年度外來に於ける疥癬並に膿痂疹患者數の消長について
横山 硈
1
,
大垣內 弘
1
1慶應義塾大學醫學部皮膚科泌尿器科教室
pp.1-4
発行日 1946年11月10日
Published Date 1946/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1491200001
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獨乙に於ける疥癬の著明な流行は1879年,1893年及び1916-1920年であつて,この中最後のものが第一次歐州大戦に由るものなることはいふまでもない,その他の歐洲各地に於ても同様に第一次歐州大戦後この流行のあつたことは周知の事柄でウヰーン洲Oppenheimは同地のWilhelminenSpitalに於て4年間に本症患者を取扱ふこと實に41354人に及んだといふ。
昭和13年に同仁會支那派遣第二診療班に参加して上海南市に於ける救療に従事した我教室の大森氏の診療報告(日本泌尿器科學會雜誌第28卷第2號)に依ると,約8ケ月間の皮泌科外來患者は4700名で全院外來患者の42%強に當り,この中皮膚疾患を主訴とするものが大部分で,泌尿器科患者は僅少に過ぎす,これを疾患數に見ると,皮膚疾患4820泌尿器科疾患200である,然かも皮膚患者の中で首位を占むるものは實に疥癬の1272名(26.39%)で,却つて濕疹は959名(19.89%)の第二位となつて居る。
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