扉
人は死して髑髏を残す
松本 清
1
1昭和大学脳神経外科
pp.954-955
発行日 1998年11月10日
Published Date 1998/11/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436901632
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第2次世界大戦が終わって半世紀がたつのにこの間世界のどこかで争いが絶えない.その多くは宗教を異にするゆえの争いごとである.このような戦争が終わってしばらくして,あの戦争の意味は何であったかと考えてみると人は何も見出せない馬鹿馬鹿しい気持ちにとらわれるであろう.しかし人間はおろかにもこの宗教がらみの争いを2000年以上も続けているのが現実の歴史であり,将来も又続けるのであろう.
欧米のキリスト教では人は死ぬと魂は昇天し,遺体は完全に物体に変わると考えているらしい.映画などでみる葬儀では遺族や友人が棺にひとつまみの土をかけて,すぐに立ち去り,棺の埋葬は墓堀人にまかせて終了する.仏教徒である私にはそれが習慣とはいえ,埋葬が終わるまでそれを見つめるのが礼儀ではないかと思ってしまうのは,日本ではすべて火葬にして骨拾いの儀式があるからであろうか.
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