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第Ⅱ部 ブッダの心理学とフリーマン理論
1.フリーマン理論とブッダの教説との「重ね描き」は可能か
1) ブッダの思想とは何か
第Ⅰ部で述べたフリーマンの意識理論は,あくまでも脳の働きについての物理学的言説である.それが,人間の現象的な心のプロセスとどれほど合致しているのかは,大森荘蔵氏が述べておられるように,適切な心的言説との「重ね描き」によって判断するしかない21).そのような心的言説として,筆者は仏教心理学を選んだ.それは2,500年前にブッダが考えたことであるが,ブッダが直接述べたことは,膨大なパーリ正典に伝聞の形で残されているだけである.したがって,ブッダが考えたことについては多種多様な解釈が存在するが,筆者はその中から,オックスフォード大学インド哲学講座教授であるリチャード・ゴンブリッチの『What the Buddha Thought』6),および彼の弟子であるスー・ハミルトンの『Identity and Experience. The Constitution of the Human Being According to Early Buddhism』9)を選んだ.その理由は,彼らが仏教信者としてではなく,言語学者・歴史学者・インド哲学研究者としてパーリ正典の読解に取り組み,筆者が知る限りにおいては,最も客観的にブッダの思想を再構築したことにある.
ゴンブリッチによるブッダ思想の解釈において最も画期的な点は,ブッダの「法(ダルマ)」という言葉を,現代英語の「プロセス」へと翻訳したことであろう.上掲書で彼が示しているパーリ正典に関する言語学的議論はさておき,Oxford Dictionaryによると,“process”という英語は「変化の自然経過(a natural series of changes)」を意味するが,その背景を成すのは近代以後の科学的世界観である.一方,「法(ダルマ)」は,ブッダ思想の核心を成す基本的概念である.つまりゴンブリッチは,2,500年前のブッダが,現代科学と基本的には同じ世界観をもっていたと主張しているのである.それはにわかには信じがたい考えであるし,ゴンブリッチは上掲書で,その理由について詳しくは説明していない.しかし,ゴンブリッチほどの碩学が,それほど重要なことを思いつきで言うはずがないので,その理由について筆者なりに考えたことを次節で述べる.
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