扉
刀圭の術
山本 信二郎
1
1金沢大学医学部脳神経外科
pp.1007-1008
発行日 1983年10月10日
Published Date 1983/10/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436201730
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思い違いをしていた.医師あるいは医術を刀圭家,刀圭術というが,私はこれをメスに由来するものと思っていた.念のために『字源』を引くと,刀圭とは,"薬をもるさじ,剃刀に似てその端に圭(たま)の如き形せる中窪の所ありて,その中に薬を容る,転じて医術の義とす"とあった.漢方では,外科は内科の"本道"に対するもので"外道"に由来する言葉である."くすり"の内服で完全治癒を理想とする以上,出血し,痛みを伴い,また化膿が避けられない治療法は外道とされてもしようがなかった.これは中国だけではない.西洋においても,外科が脚光を浴びるようになったのは1867年,Listerによる"消毒法"が確立されてからである.この消毒法は石炭酸による防腐であり,現在の無菌法からは程遠いものであるが,それでも外科に革命をもたらした.
我々の医学部のはるか前身である石川県甲種医学校の初代校長小川孝蔵は,オランダ医学をドイツ医学に切り替え,外科を独立させた外科医であった,この人が,着任17年目の明治32年(1899),2年間のドイツ留学を終えて帰国した際の挨拶が興味深い.要約すると"むこうに行った時は大体推測していたため,違いにはあまり驚かなかった.しかし,このたび横浜に上陸し,この学校に帰ってみると,あまりの差に甚だ驚いた.設備の改良や機械を要求しても,予算がないということで一つも通らない.
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