扉
日本脳神経外科医の世界における立場
牧野 博安
1
1千葉大学・脳神経外科
pp.227-228
発行日 1983年3月10日
Published Date 1983/3/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436201640
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私も馬齢を重ねるばかりで,脳神経外科学に足を踏み入れて30年近くなる.ともすると自分の進んできた途を振り返ることが多くなった.そうするとそれが当然のように脳神経外科の歴史の一部のように頭の中に蘇ってくる.脳神経外科的疾患の診断,手術の適応,決断力に加えての緊急性のしがらみをうまく運用することによって何度か快哉を叫んだこともあるし,すべて思うようにならずに沈み込んだこともある.この学問・臨床の真の醍醐味は常に考えて,しかも迅速に手順を進めることにある.CTスキャンその他のコンピュータを用いた利器が一層その着実性を増しているが,今まで数多くの先人の苦心の塊りが今日の脳神経外科を造りあげたのである.手術死亡率80%の脳外科グループと起居をともにしたり,氷の湯舟の中に患者を浸しての低体温下での頭蓋内動脈瘤の手術を手助って今度こそ今度こそとやっても死亡率は50%前後で,この治療法の限界を感じて憂鬱になったり,頭蓋内圧の高い患者の硬脳膜を切開するやいなや噴出する大脳半球の処理に苦労したりしたことは昔日の夢物語のようになってしまった.
顧れば,第二次世界大戦中に欧米の脳神経外科,ことに北米のそれは長足の進歩をとげた.私の見た範囲では,その進歩,普及の貢献度の第一に挙げられるものは,清水教授の発表された経皮的頸動脈写の応用であったと思う.動脈写の判読,種々の工夫などが山積していた終戦後まもない頃,私も北米で勉強していた.
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