特別寄稿
第5回国際脳神経外科学会印象記
西本 詮
pp.337-344
発行日 1974年4月10日
Published Date 1974/4/10
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1436200183
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第1回ブラッセル(1957),第2回ワシントン,第3回コペンハーゲン,第4回ニューヨークと4年毎に開催されて来た本会が,昨年(1973)10月8日から12日まで,東京帝国ホテルで開催された.地理的にはどうしても不便であり,しかも脳神経外科領域ではそのスタートや独立の時期が,欧米に比しかなり遅れていた日本に,このように早く国際学会が開催されたことは,第2次大戦後の日本のこの領域における急速なしかも幅広い進歩発達と国力の増強,ならびに関係者の熱意の賜であって,喜びに堪えないことであった.
開会前日の7日午後各国各学会2名ずつの代表者よりなる実行委員会が帝国ホテル4階桜の間で開かれ,規約改正がすみ,次期(1977)開催地がブラジルのサンパウロにきまり,役員候補選出委員会の選出が終ったところで,機能的脳外科反対を叫ぶ数十名の青年医師?学生?群が会議場に乱入した,長談議にいささか退屈していた各国代表者たちは一瞬騒然となり,「一体何事か」と或いは驚き,或いは不思議がり,或いは日本にも同じようなものがあったと合点し,この椿事はむしろ一服の清涼剤となった観があった.第1回の会議はこのため中断され,閉会ということになったが,彼らは機能的脳外科あるいは精神外科反対のパンフレットまで用意し,場内各所で代表者達と議論する風景がみられた.ただ精神外科のどこが悪いのかとか,手術手技や目標部位などに関する詳細な質問に対しては,彼等は専門的知識にまったく乏しいようであった.
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