シンポジウム—脱髄性疾患
多発性硬化症の臨床知見
祖父江 逸郎
1
,
渡辺 恭昭
1
,
熊沢 国彦
1
1名古屋大学医学部内科第一講座
pp.105-111
発行日 1956年12月1日
Published Date 1956/12/1
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1431901542
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多発性硬化症の臨床を論ずるに当り臨床上如何なる症例を本症と診断するかという問題が先ず第一條件となるであろう。即ち其の臨床診断の基準に関することである。本邦に於いて従来から本症の存在論が論議されたことも第一の出発点としてはこうした所に幾多の疑義があつたからに外ならない。漸く最近に至りこの問題に就いての見解が多少整理され欧米に於ける本症との対比に於いて多発性硬化症の臨床に就いての活撥な論議が展開されて来たのである。吾々もこの様な観点に就いて甚だ興味を持ち本症を臨床的な立場から追求中であつたが偶々米国に於ける本症診断基準に就いて親しく彼地に於いて論議する機会を得この問題に就いての彼等の立場をも知ることが出来た。既にそれは吾国にも紹介されている様に病巣の散在性と症状の寛解ということに共の基盤を置いていることは殆んどの神経病学者によつて述べられることであるが然し実際の臨床に当つては各人によつて多少の見解の相違が見られる様である。こうした点から日常可成り多く見られる多発性硬化症の診断に際して米国に於いてもなお或る程度の複雑性を示している様である。この問題は或いは本症の症状の時期に関することや不金型につながる何等かを意味するのかもしれない。
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