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リハビリテーションの世界に大きな改革をもたらしたブルンストローム(Anna Signe Sophia Brunnström;1898-1988)はスウェーデンの軍人の家庭に生まれた。16歳のときに物理・化学を勉強して大学進学の資格を得,ストックホルムの王立体育学校に進み,リング(Per Henrik Ling;1776-1839)の下で理学療法を学んだ。リングが創始した徒手体操(スウェーデン体操)は解剖学と生理学に基づき,身体各部の各機能の調和した発達を図って考案されたものだが,ブルンストロームが信奉しただけではなく,明治以降の日本の学校体操の主流ともなった。ここで大切なことはスウェーデン体操が筋肉よりも運動を重視したことと,これにより種々の疾病,例えば,側弯症,猫背,下肢の筋力低下などを防ぐことができるとしたことだった。
1919年に卒業すると,スパで働き出した。1920年にはスイスのベルンに行き,まもなくローザンヌで開業し,盛業であったが,1928年にはニューヨークへ移った。最初に働いたのは東42番街の肢体不自由者病院(現・コーネル大学特別外科病院)の体操室だった。1931年にマンハッタンのバーナード・カレッジで医学部進学の科学コースに入り,1932〜1933年にはニューヨーク大学で学んだ。しかし,1934年にお金がかかりすぎることを理由に,4年間の医学校進学は諦め,その代わりにニューヨーク大学の理学療法学部で修士号を取ることにした。同年の11月には米国の市民権を得ることができ,同時に名前を“Signe Brunnstrom”と短くした。1935年にニューヨーク大学の修士号をとり,同時に病院での地位も上がり,理学療法士の教育を担当するようになった。1938年には,ニューヨーク大学の講師に任命され,第二次世界大戦中は海軍大尉として全米各地のリハビリテーション施設を指導したという1)。
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