JIM Report
私が見た旧ソ連医療事情
赤塚 祝子
1
Noriko Akatsuka
1
1横浜市立市民病院内科
pp.448-450
発行日 1992年5月15日
Published Date 1992/5/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1414900446
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1991年6月,一通のテレックスがソ連のOdessa市から届いた.姉妹都市である横浜市に,医薬品と医師の派遣をお願いしたいという内容だった.泌尿器科,産婦人科,血液内科の医師が選ばれ,持って行く薬や検査器具が用意されて,出発は8月末と決まった時に,あのクーデターが勃発したために,日程は延期された.選ばれた当方としては,できれば来年にでもして欲しかったのだが,突然10月に出かけるようにとの辞令が下りて,泣く泣くアエロ・フロートに乗り込んだのである.
モスクワの空港で4時間待たされて,目的地のOdessa市に辿り着いたのは,すでに夕方だった(日本だったら,こんなに長く何の説明もないまま待たされたら,乗客は怒り狂って,責任者を出せ!ということになるのだろうが,ソ連ではただただ待つしかないのである).宿舎は,KGBのアジト風元共産党幹部の別荘で,古びた2階建ての代物だった.手を入れて,水回りや内装を一新すれば,かなり快適な生活を楽しめそうだが,今のところはどちらかというと,収容所のような雰囲気が強かった.もちろん,お湯はチョロチョロしか出ないし,水は赤サビ混り,洗面台にはヒビが入っていて,ベッドのスプリングは壊れていた.ここにはきっと,よいホテルがないので,この別荘を用意したのだろうと考えて,軋むベッドに潜り込んだ(誤解だった).
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