JIM Report
へき地の医師として支援活動から学んだこと
中前 範子
1
1公立紀南病院内科
pp.752-754
発行日 2011年9月15日
Published Date 2011/9/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1414102292
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私にとっての「3月11日」
公立紀南病院は三重県最南端のへき地中核病院である.目の前には美しい熊野灘が広がっている.当地方でへき地医療に携わることが,私の幼い頃からの夢だった.その夢を実現すべく当院に赴任したものの,年々医師不足が深刻化し続け,医師一人あたりが担う業務負担は増大し,愛する地域で医師として働ける幸せを実感できなくなるほど心身ともに疲弊する事態に至り,退職するべきかどうかを悩んでいた.
そのような時に,東日本大震災が起こった.当地方も津波警報が発令され,地域の津波避難所に指定されている当院の駐車場には,避難する住民の方の姿もみられた.当地方の沿岸部も,昭和19年の東南海地震で被害を受け,死者もでている.現在も東海・東南海・南海地震はいつ発生してもおかしくないと言われており,今回の震災は他人事ではなかった.
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