教室だより
金沢医科大学泌尿器科学教室
池田 龍介
pp.534
発行日 1991年6月20日
Published Date 1991/6/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413900385
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金沢医科大学は,1972年4月に,五木寛之の「内灘夫人」の舞台となった内灘砂丘の中に開設されました.正面には,河北潟の水面が光り,さらにその向こうには立山をはじめとする北アルプスの峰々が横たわり,後方には,にせアカシアの緑の帯と雄大な日本海が一望できる風光明媚な環境の中に位置しております.
当教室は,1974年4月1日に,津川龍三教授により開講され,鈴木孝治助手(現助教授)ほか5名が着任.1974年9月に,金沢医科大学病院が開設され5床での診療が開始されました.その後,人事往来の末,確実に本学卒業生の入局者はあるものの,現在,教室のスタッフは津川龍三教授,鈴木孝治助教授ほか講師2名,助手9名,研修医1名の14名(うち6名は関連病院出向中)であり,人手不足には日々悩まされているのが現状です.
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