教室だより
広島大学
福 重
1
1広島大学
pp.483
発行日 1968年6月20日
Published Date 1968/6/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200433
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広島における医学教育の歴史は比較的新しく,その発展は戦後のものである。昭和20年2月14日に広島県立医学専門学校として発足したが戦争のため疎開,原爆,漏電焼失などにより再三移転している。昭和22年皮膚泌尿器科教室が設立され,柳原英先生が京部大学教授を定年退官後赴任された。昭和23年呉市広町に臨床附属病院,阿賀町に基礎教室を置いて移転し,同年県立医科大学に昇格した。初代柳原英教授,大村順一助教授(元岡山大学教授),石神襄次講師(現神戸大学教授)と医局員数名であつたとのことである。当時の研究室は狭くて木造のお粗末なものにもかかわらず,主として精嚢腺の生理ならびに病理の研究がなされている。昭和31年柳原教授が退官され,京都大学より加藤篤二教授(現京都大学教授)が就任された。また医科大学は同年より国立に移管され,昭和32年医学部は広島市の中央部にある比治山の東側の県庁跡へ移転し,医局員も次第に増加してきた。
患者数も移転により漸次増加し,診療,研究は忙しくなつてきた。加藤教授の主なテーマであるところの前癌状態に始まるCancer research,特に家兎前眼房内移植があり,それに続いて前立腺の基礎的研究が行なわれ,Huggin's dogの前立腺分泌液の生化学やラット,マウスを使用した前立腺の発癌,DNA代謝,Zn代謝,組織化学など3グループに分れて探究していた。
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