教室だより
和歌山県立医科大学
三軒 久義
1
1和歌山県立医科大学
pp.1067
発行日 1967年12月20日
Published Date 1967/12/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200318
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徳川御三家の一つ徳川頼宜の居城であつた和歌山城と向い合つて建てられているわが大学の歴史は浅く,創立以来22年に過ぎないが,わが泌尿器科教室の歴史はさらに浅く,昭和39年8月,皮膚泌尿器科学教室が分離独立し,初代教授として現在の金沢稔教授が就任されたのに始まる。金沢教授は東京慈恵会医科大学の出身であられるが,生粋の紀州人で,医師会あたりの信望も厚い。南国特有のねばり強さを発揮され,毎日朝8時30分より夜おそくまで頑張つておられるが,雑用が大部分であるとこほしておられる。
助教授は現在欠員であるが,その分も含めて,教室を統卒され,御健康なことも無類で,休まれたことがない。一咋年10月,南教授の御紹介で米国に1年間遊学され,その見識を広められて昨年帰国されたので,教室が分立してから3年になるが,その間に1年のブランクがあるため,現在なお教室の創生期に当つている。現在,教授,医局長,助手3名,大学院学生4名,計9名とスタッフの面ではかなり充実したが,定床42は常に満床で実動6〜7名で受持ち,臨床の面でかなり忙しい上,1人につき週2回終日研究時間をとり,他の日は臨床が終つた夜の時間に研究を行なつているが,研究補助員の枠がないので研究の雑用に手がかかり,何とかもう少し能率のあがるようにしたいものと思つている。
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