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日本泌尿器科学会の変遷(11)
田村 一
1
1慶応義塾大学
pp.981
発行日 1967年11月20日
Published Date 1967/11/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200298
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学会規則と役員(3)
創立当初の学会規則第5条に「本会に会長1名,評議員幹事若干名を置く」とあつて,第6条,第7条,第8条にそれぞれの職務内容が簡単に述べてある。第9条には雑務を行う書記のことが挙げてある。唯これだけのことで,実際には会長が陣頭指揮的に少数の幹部と相談して会務を処理し,幹事がその実施に協力していたものと察せられる。
会長及び総会開催地のことは高橋先生の日本泌尿器科学会50年のあゆみ(第53巻特別号8頁)に詳述されているので省略するが,第2回(大阪)第11回(京都)を除いて第17回(昭和3年)まではすべて東京で総会が開催され,会長も東京在住の者であつた。しかも第15回までは大学と直接関係の無い在野の権威であつたことは本学会の生い立ちを物語る一つの特色ということが出来る。それに初期の会長は少くとも2期以上つとめられ,朝倉文三博士は断続的に6期,高橋明先生は連続6期,その後更らに3期会長をつとめられた。東京を離れて会長が地方に移つたのは第24回総会(昭和10年京城)の渡辺晋博士が最初である。第24巻第5号の総会雑報によると「数回重任を重ね本学会の為めに専心尽瘁されし高橋明会長は総会の結果,会長の任を渡辺晋博士に譲られた」とある。その後は総会開催地の教授が会長に推薦されるのが慣習となつた。
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