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日本泌尿器科学会の変遷(5)
田村 一
1
1慶応義塾大学
pp.481-482
発行日 1967年5月20日
Published Date 1967/5/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1413200178
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—学会雑誌—
日本泌尿器病学会は明治45年4月2日最終の発起人会を偕楽園に催して会則,役員等を内定し,諸般の準備を完了し,第1回総会を同年(1912)4月3,4日の両日東大東講堂に開催した。そしてその年の秋に日本泌尿器病学会雑誌第1巻第1号を発行した。その年の7月30日に明治天皇が崩御され改元が行なわれたので発行期日は大正元年10月になつている。その1号の表紙には10月,第1頁には9月と印刷してあるので,そのいずれを採るべきか当惑した。恐らく第1頁を印刷し始めたのは9月で実際に雑誌として出来上つたのが10月になつたのであろうと考えて10月をとることにした。
編集は当初専ら朝倉文三会長のもとで行なわれていた。学会事務所も亦,朝倉病院にあつた。その後大正7年(第7巻)から編輯は順天堂の坂口勇,上林豊明の両博士に委ねられ,学会事務所が大正11年に阿久津病院に移された後も,編集は変動なく専ら両博士が担当された。そして大正12年9月1日の震災によつて阿久津病院が罹災したので,学会は思わざる苦境に直面した。
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