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Pierre Louis Alphee Cazenaveは1795年にパリで生まれた。そしてその医学に関する履歴はパリにおいて終始した。彼の興味が早くから皮膚科学にあつたことは,学位論文の題目が"皮膚疾患の2,3の問題について"というのであつたことからもおかるのである。カズナーヴはビエ(Biett)の門弟であつたことから,ウィラン主義者であつた。その師ビエこそ,ウイラン(Willan)とベートマン(Bateman)の学説に傾倒し,これを初めてフランスに導入した人である。学位論文提出ののち1年たつて,カズナーヴはシェデル(Schedel)と共著で"皮膚病の実際(Pratique des Maladies de la Pe-au)"という単行書を出版した。これは師ビエの臨床講義を集めて編集したもので,はなはだ好評を博した。その英訳がまもなく現われ,とくにアメリカにおいて,すみやかに飜訳書が出版され,たちまちアメリカ皮膚科学界においてもつとも影響力の著しい著書となつた。
カズナーヴはまつたく皮膚科学にのみ関する専門誌を初めて発刊した。その名は皮膚梅毒疾患年報(Annales des Maladies de la Pe-au et de pa Syphilis)(注1)であつた。そしてこの雑誌に落葉状天疱瘡の最初の記載や紅斑性狼瘡の決定的記載を掲載した。なお彼は梅毒に関して重要な業績を発表した。それはその第2期の症状をきわめて詳細に記述したものである。また彼が駆梅療法の進歩に大きな貢献をしたことは有名である。そのほか,円形脱毛症の研究や湿疹と被髪頭部疾患の新知見発見についてもその名を高からしめるものがあつた。
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