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(前号から続く)
BatemanがWillanの門にはいつたことは,単に師弟の縁を結んだという程度のものではなかつた。のちにBatemanはWillanのもつとも信頼する助手となり,Willanがその死(1811)によつて残した膨大な仕事は,Batemanの影響を深くかつ広く世に与えた巨匠的な著書"皮膚病摘要(Synopsis of Cutan-eous Diseases, 1813)"によつて完成されたのである。後世において,この両人の関係はSocratesとPl-atonのそれにたとえられ,師の仕事の終わりと弟子の仕事の初めとは,渾然として区別できないといわれている。皮膚病を図で画いて示したいというのがWillanの希望であつたが,生前それは果たされず,その考えの上に立つたBatemanは初めて図版を作りあげて,世界最初の皮膚病図譜Delineations of Cuta-neous Diseases,1814-17を発刊した。
個人的にみて,Batemanは謙遜な人柄であつた。その言葉は単純,卒直であり,その態度全体が平凡であり,素朴であつた。彼ははなはだ宗教的であり,音楽を好み,かつ立派なオルガン奏者であつた。彼のある友人が語つたところによると,"彼は1分間たりとけつして浪費したことがない,といつてもいいすぎにはなるまい。朝,階下におりてくるときも,常にペンを手にしていた。テーブルについて朝食の運ばれるまでの短い時間中にも,彼の紙と書籍とはそのそばにあつた。診療所での毎日の回診にも,時間を浪費しないように注意を払い,あらゆる近道を選んだし,また歩数の節約さえ工夫して恥としなかつた。このようなわずかずつの貯蓄は,つもりつもつて,彼に莫大な時間を得させることになつた。"
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