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昭和42年4月1日,うららかな春光を浴びた愛知県立体育館で第17回日本医学会総会が約1万人の参加者を集めて開幕された。名城内の広々とした緑地帯にひときわ鮮かに浮き出る白亜の堂が,より進歩的であつて地道な,そして純粋に真理の追求を続けている医学徒の真の姿を反映している様に感じられる。私の所属している皮膚科学会議は,名古屋大学教授加納魁一郎会頭の主宰によつて,4月4日(火)4月5日(水)の両日にわたり,松下電器ナショナルホールの8階講堂において開催された。学会前日迄は,うららかな小春日和に恵まれていた天候も,学会当日は残念にも冷雨をまじえた突風に災され,幾分肌寒い開会風景であつた。会場は加納会長の御配慮もあつて,大名古屋市のシンボル,テレビ塔の直下という交通や散策等に極めて好条件な場所にあつたため,気まぐれな春の天候のいたずらに対しても,毫も不便さを感じなかつた事を心から感謝している。学会場内は千数百を越す老若学徒の熱気に満ち,名古屋市にはこれよりも大きな講堂がないかといいたい位,立錐の余地もない盛況であつた事は,一会員として,非常に喜ばしい次第であつて,この様な盛大な学会をお世話頂いた加納教授及び教室関係者の方々に衷心御礼を申し上げる次第である。
会場となつた松下電器ナショナルホールは,大松下のサービス・センターにふさわしく,近代的配慮のなされたビルディングであつて,1階には,日本の電子科学の粋を集めた機器が展示され,エレベーターの順を待つ間もソフトなステレオ音楽で張りつめた神経を一時的にしろ柔げてくれた様である。学会場は8階ホールであるが,初日のエレベーターは受付事務の行われている7階ホール迄とされて会員が会場前の廊下でまごつく事を事前に防いで頂けた企画はまさにグッドアイデアといえよう。会場はシンポジウムや一般演題の年を追つての増加で,第1,第2会場に分割され,その他学術展示場及び食堂,休憩室が設けられていた。開会第1日は午前9時より10時半迄,第1第2会場にわかれて一般演題の発表がなされ,10時40分より名古屋大学助教授小林敏夫博士の宿題報告"エリテマトーデスとその周辺"の講演があり,続いて本邦,皮膚科学会の長老,松本信一大阪医科大学長の文化功労賞受賞の記念の祝賀があり。次いで皆見賞の授与式があつた。午後は再び2会場に別れて1時から2時30分迄一般演題が発表され,当日の主眼であるシンポジウム"メラニン"が2時半より10演者によつて第1会場で発表され種々討論された。第2日目は8時30分より10時迄,第1,第2会場にわかれて一般演題が発表され,10時から第1会場に集合して,スライド供覧及び国際皮膚科学交換講座としてピンカス教授の特別講義が行なわれた。午後は,1時より第1会場にてシンポジウム"小児湿疹"が9演者によつて報告され活発な討論が行われた。次いでスライド供覧が行われて午後6時前無事第66回日本皮膚科学会総会が終了した。会場を2会場に分割することにより年々増加の一途をたどる学術発表に対し,重要な講演及び行事の際は1会場に全会員を集めるという実に合理的な運営により,一般演題62題,スライド供覧42題,シンポジウム2題,宿題報告1題を消化した加納教授の手腕は実に驚嘆に価するといつても過言ではなかろう。一方,近時演題数増加により複数会場を使用する傾向になつて来たが,そのために興味ある発表が重複して,いずれか一方を聞きもらす事が時として起つて来る。しかしこの事は,会期を延長する事により解決出来るかも知れないが,日頃,臨床に研究に追われる医学者にとつては,止むを得ぬ事であつて,斯学の発展のためにも,目をつむらねばならないであろう。特に今回の総会は,医学総会というマンモスミーティングの一部であるがため前回の京都総会に比して会期が一日短く,且つ会場面積の制約があつた事は,主宰者にとつて大きな負荷となつていた事と思う。この事が学術展示会場の一部混雑につながつた事実は,否めないがいささかのロスも生ぜずに会の運営を行われた加納教授にただ頭の下がる思いである。
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