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大連は,小学校から中学(3年)までを過ごした想い出深い都市である。1983年,戦後初めて,36年ぶりに大連を訪れた。藩陽の中国医科大学(旧満州医大)での気道分泌に関する講演会を終えて,大連鉄路病院(旧満鉄大連病院)を訪問し,講演するためであった。逗子で開業されていた故A先生ご夫妻のお誘いにより,先生の義弟で喀痰学の権威者,N先生ともご一緒させて戴いた。藩陽から大連への移動は,“あじあ号”で有名な汽車の旅であった。地平線に沈む真赤な太陽は,今も昔も変わらなかった。大連駅には日が暮れて到着,マイクロバスで宿舎へ向かった。ホテルは大連賓館(旧ヤマトホテル)の別館で,外国人専用に改築された建物と聞いた。長旅の疲れもあって,その夜は熟睡した。お陰で翌朝はいつもよりも早く目覚め,部屋のカーテンを開けて驚いた。36年前まで住んでいた4階建てのアパートが目の前にあった。夢ではないかと自分の目を疑った。紛れもなく“旧敷島ビル”であり,その位置関係からこのホテル別館は,昔の証券取引所のビルであることがわかった。その時の感激は,未だに忘れることができない。居ても立ってもおられず,ホテルから飛び出し,昔のわが家の方に不思議な力で引きつけられていった。ビルの外壁は,ベージュ色に塗り変えられていたが,窓枠の数や形は昔と同じであった。しかし,当時と比べてビル全体が小さく思われた。子供の感覚での大きさや距離,時間などは,現実以上に大きくあるいは長いものとして記憶されているようだ。講演終了の翌日は,中山広場(旧大広場)を散策し,大連賓館で昼食をご馳走になった。ホテルの内外装は,重厚,ヨーロッパ風で往時の姿そのままであった。室内のシャンデリアや石炭酸(床板やリノリウムの清掃,防腐用)のような匂いまで一緒であった。小学校時代に,父の会社(旧東託ビル)を訪れ,土曜日には,このホテルの食堂でライスカレーを一緒に食べたことが想い出された。そのときの匂いと味が今でも鮮烈に記憶として残っている。専門家によれば,ライスカレーは,カレーソースとご飯が別々に出されるもので,カレーライスは,ご飯の上にカレーソースがかかったものである。ヤマトホテルのそれは,紛れもなくライスカレーであり,母の得意なカレーは,ご飯にカレーソース,それも肉とじゃが芋の具が多く入ったものがかけられていてカレーライスであった。しかし,わが家では,皆がライスカレーといっていた。その味は,今でも天下一品であり,以来,カレーは私の嗜好食事のトップの座を占めている。このカレーは,本場インドからイギリス,フランスに渡り,伝統的なルーの手法が取り入れられて,とろみのあるカレーに変身し,日本に伝わったらしい。それも,インド,ヨーロッパからまず中国に入り,大連経由で日本へ伝えられたという。カレーがわが国に入って既に100年内外を経過している。国産のカレー粉が誕生したのは,1923年,本格的な固形のカレールーが発売されたのは1954年である。以来,カレーは,今日まで国民食として定着している。われわれは,大連でカレーの元祖に出合い,日本内地に先馳けて日常的に美味しい匂いや味を楽しんでいたことになる。よく故郷を想う時,生れ育った山河を瞼に浮かべ,親のこと,友や恩師の顔そして古里の匂いや味を思い出す。そこには懐かしい感情と憧れを伴っている。この故郷の記憶は,匂いの記憶に似ていて,いつも感情を伴っている。また,匂いは無意識の中に感情や精神に影響し,その匂いが“好き”とか“嫌い”とかいう情緒までも支配してしまう。匂いに関係する神経が,感情と記憶の中枢である大脳辺縁系や脳幹部などに作用して無意識的な活動や精神作用さらには情動などと深く係わっているからだ。子供時代のカレーの匂いと味の記憶は,まさにこれである。さて,辛味を出すスパイスには,胡椒,唐辛子,しょうが,にんにくなどがあるが,カレー粉はこれら30〜40種のスパイスとシナモン,ナッツなどの香料をブレンドしたものである。カレーは,インドの胡椒や肉桂,中国の唐辛子,しょうがなど東洋の香料,スパイスを原料として,長い年月を経て西洋的な嗜好食品に育った代表的なものである。最近,カレーを食すると,脳血流が30分後に5%増量し,上腹部の温度や心拍数が上昇することが報告されている(丁宗鉄)。これまでの西洋薬や食品には,未だみられなかった効果として注目されている。今後,冷え症の改善のみならず,高齢者の食生活や病院食などで,東洋医学的考えを導入した食事の献立,特にカレーのようにアジア文化(香料,スパイス)と漢方の特徴を併せもったメニューの導入が大いに期待される。
カレー談義は,これくらいにして,かつて大連で出合った匂いと味への再会の旅を紹介したい。1999年,藩陽で中日消化器内視鏡学会が開催され,その際,大連二中時代の中国人同級生,U君(北京首都医科大消化器内科教授)(図)が会長として,われわれ家族を招待してくれた時のことである。
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