鏡下咡語
音楽に身を捧げたある耳鼻咽喉科医の生涯
髙坂 知節
1,2
1仙台逓信病院
2東北大学
pp.46-48
発行日 2003年1月20日
Published Date 2003/1/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1411101044
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初冬の柔らかな日差しが窓越しに入る1999年11月19日の朝,ひとりの年老いた耳鼻咽喉科医が,集まった家族に囲まれて静かに息を引き取った。享年93歳の見事な大往生であった。ここに音楽をこよなく愛して,その生涯の大半をオーケストラ活動に捧げたある耳鼻咽喉科医の一生を振り返ってみたい。
1.満洲医科大学への道
帝国陸軍軍人の三男として出生し,多感な少年時代を山形の庄内で過ごした筆者の父髙坂知甫(たかさかともすけ)は,小学校の書道展に入賞して褒美として真鍮ラッパを祖母に買ってもらったのが自慢の種であった。7歳の時に父親が他界し,病弱な母親も間もなく後を追うように逝ったため,幼くして孤児となり,やがて九州大牟田の親戚へと引き取られることになった。大牟田では三池中学へと進学したものの,家庭内の葛藤が続き暗い青春時代を過ごすことになる。この暗い時代から逃避するかのように,満洲医科大学予科を受験して合格し,勇躍満洲国奉天へと単身で乗り込むことになった。
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