やさしい目で きびしい目で・24
働く女医100年
伊田 幸子
1
1伊田眼科
pp.1981
発行日 2001年12月15日
Published Date 2001/12/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410907575
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与謝野晶子の第一歌集「みだれ髪」が東京新詩社から刊行されたのは明治34年8月(1901年)。今年はその100周年にあたる。21世紀日本の女たちの革命はこの小さな若い歌集から始まる,と記されている(芳賀徹氏)。さっそく晶子出生地堺市の下山ミチ子先生(眼科医で俳人)にかねてから聞いていた晶子資料館の設立はどうなったかと連絡を入れたら「まだ,まだ。しかし晶子文芸館としてギャラリが設けられている」とのことであった。原稿料で家計のやりくりをし,11人の子育て,鉄幹にもよくつくし,歌集・小説・女性の権利に焦点をあてた評論など,数多くの業績を残された。今もし「外相を」といわれても,理路整然と答弁もし,その任務を果たすであろうと思われるほどに聡明な,明治女性のたくましいエネルギーには脱帽である。
そこで日本女医史をひもどいてみると,日本最初の公許女医荻野吟子先生が世に出られたのが明治18年(1885年)。今から116年前である。その後,吉岡弥生先生夫妻が東京女医学校(現東京女子医大)を開かれたのが明治33年(1900年)。その間には男女平等,封建制度の打破と大変なご苦労があった。そのご苦労は言語に絶するものであり,なみなみならぬ先達のご努力のおかげで今日がある。現在の繁栄を前にして女医たるもの,その足跡を振り返ってみる必要がある。そうすれば恵まれた現代で少々の苦労はもののかずではない。
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