連載 あのころ あのとき・2
原田病治療の副腎皮質ホルモン大量治療
増田 寛次郎
1,2
1関東労災病院
2前:東京大学
pp.150-151
発行日 2001年2月15日
Published Date 2001/2/15
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410907180
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原川病については,原田永之助氏の報告以来,多くの発表や論文が出されていて,その治療についても多くの発表がすでにされている。
私たちが大学に入局した昭和40年代の東京大学医学部附属病院眼科外来のぶどう膜炎のなかで,第1位はベーチェット病でほぼ25%から30%を占めていた。原田病はそれに続いて第2位で十数%であったと思う。原田病,あるいはぶどう膜炎として東大病院に紹介され,当時では最新の検査方法であった蛍光眼底検査によって(蛍光眼底検査は当時講師をされていた清水弘一先生が一手に引き受けてられていたが)原田病の特徴である網膜浮腫,網膜剥離が網膜血管からではなく,脈絡膜側から網膜下に滲出してできたものであることが明らかにされた。また本症が全身の色素細胞を系統的に侵す自己免疫疾患として理解されはじめたころでもあった。自己免疫疾患であるならば,その免疫異常を正す目的で副腎皮質ホルモンの使用は当然ながら考えられ,実際にも使われていた。しかし,その量はプレドニゾロンで約8mg/日であり,この量では原田病の進行をどうしても止められなかった例も多くあり,日に日に視力が低下していくのに困惑したことがしばしばあった。原田病は一般には予後のよい疾患として考えられていたが,実際にはそうでもなく,一時的であるが両眼がほとんど見えなくなることもあり,また最終的には夕焼け状眼底になって炎症は治癒するが視力は黄斑部変性のため著しく悪くなることもあり,また続発緑内障などの厄介な合併症に悩まされることも決して少なくなかった。
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