眼科検査法についての私の考え
“見える”ということは,“見せる”こと
田中 靖彦
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1国立病院東京医療センター感覚器センター眼科
pp.191
発行日 1998年10月20日
Published Date 1998/10/20
DOI https://doi.org/10.11477/mf.1410906106
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眼科医には,いろいろな検査所見が数字で呈示されるか,この目で見えないとなかなか納得しない性質がある。「単純」といってしまえばそれまでだが,「であろう」とか「と考えられる」,「と思われる」はどうも隔靴掻痒の感があってすっきりしない,心おちつかない。しかし,そこは医学である。まだまだ簡単に割り切れないところもある。その割り切れないところを「なんとかして割り切れるようにしたい」の願望から,新しい眼科検査機器は生まれてくることになる。
一方,見えるということは,“見せることができる”ということでもある。すなわち患者さんにも,“みてもらえる”ということである。逆にいえば,結果は明白で隠すことができないのである。このことは,インフォームドコンセントが重要視され,情報開示,カルテの開示などが一般化されつつある今日,眼科はその最先端をきっているといって過言ではない。
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